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【業務週報】ソニー美濃加茂撤退ショック

外国人の雇用が悪化すると外国人犯罪が増えるんです。仕事があれば犯罪する必要ないですから

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岐阜県のソニーの工場が閉鎖を発表しましたね。日本の電機産業の不振が伝えられる今、とうとう来たかという感じです。

東海地方にはこのような巨大工場がいくつもあり、ブラジル人など日系外国人労働者、定住外国人の雇用の受け皿となっておりましたが、もう減る一方で今後は期待できないでしょうね。

しかし定住外国人の帰国減少より雇用の減少のほうがスピードが早いようで、まだまだ定住外国人の苦難は続きそうです。日本側とすれば「定住外国人は失業すれば母国に帰ってくれる便利な労働者だ」とお思いでしょうが、それも甘い考えで実際には帰国せず生活保護受給率や外国人犯罪率の上昇、納税率の悪化に反映されている状況です。

税金を払わない(払えない)外国人に対して税金を投入して生活や就学の支援をすることに対して批判が多いのも事実ですが、このような事情があることも考えなければなりません。合法的に在留資格を持つ外国人なんですから。

しかし2008年の最盛期には32万人いた在日ブラジル人も今は21万人、今後どうなってしまうのか大変心配ですが、今後も行末を注視していきたいと思います。

地元雇用に不安の声 ソニー、美濃加茂工場閉鎖

2012年10月20日 中日新聞

ソニー子会社・ソニーイーエムシーエスの工場「美濃加茂サイト」(美濃加茂市本郷町)の来年三月末閉鎖の発表を受け、地元や県では雇用や地元経済への影響を懸念する声が相次いだ。県内では従業員数で過去十年にない大規模の工場閉鎖で、県職員は「数百億円規模の影響がある」と憂慮。市や県は対策会議を立ち上げて対応を協議する方針を決めた。

工場では正社員七百七十人と派遣社員ら約千八百五十人が働いている。美濃加茂市によると、角野吟生社長らが十九日午後四時半すぎに市役所を訪れた。角野社長らは、業務に習熟した派遣社員らは愛知県幸田町などの工場に移ってもらう気持ちもあると伝えたという。

市はブラジル国籍などの定住外国人が約八百人就労しているとみており、対策会議では地元経済や税収への影響などを協議する。渡辺直由市長は「市を代表する企業の一つで、閉鎖は非常に残念。多くの方が働いているので雇用は十分配慮して頂きたい」とコメントした。

県庁には午後五時ごろ、市橋英樹サイト長ら二人が訪れ、宗宮康浩商工労働部長らに閉鎖を「決定事項」として説明。宗宮部長が「雇用の確保に万全を期し、誠意ある対応を」と求めたところ、市橋サイト長は了解したという。

古田肇知事は「有数の規模の生産拠点の閉鎖が地域に及ぼす影響を憂慮している。雇用や経済の影響について迅速な対応に務める」とのコメントを発表。会見した宗宮部長は「関連工場の数や消費への影響など情報を確認しながら、市とも連携して対応していきたい」と話した。

美濃加茂サイトの閉鎖は、市民の間にも不安となって広がっている。美濃加茂商工会議所の鈴木登会頭は「雇用や関連企業への影響を懸念せざるを得ない」と述べた。

定住外国人支援に取り組む同市のNPO法人・ブラジル友の会は「子育てなどの事情から勤務地を移れない人もいる。行政や企業には、この地域で雇用を確保する努力をしてほしい」と注文した。

派遣社員用の送迎バスが給油していたガソリンスタンドの男性所長(63)は「月に百万~百二十万円の売り上げがあった」と肩を落とす。近くでブラジルの食材などを扱うスーパーを経営するコバチ・ロドルフォ・ジョゼさん(51)は「客がかなり減る」と不安げな表情を浮かべ、六人の従業員を減らさなければならないと話した。

派遣社員らにアパートや駐車場を仲介する藤不動産の藤吉紀美(としみ)社長(46)は「ソニーは地元では老舗企業なのに」と言葉をなくし「賃貸業者にとっては大きな痛手になる」と戸惑いを見せた。

浜松に住むブラジル人が大幅減少

2012年10月27日 朝日新聞

【高田誠】日本で最多のブラジル人が住む浜松市で、2008年秋のリーマン・ショック以降、ブラジル人の人口流出が目立つ。働き場所を失ったことが大きい。

1日現在で同市に住むブラジル人は1万1670人(全人口の約1・4%)。08年1月末のピーク時は1万9515人が登録しており、7845人も減った。

同市には自動車など輸送用機器産業を始め、多くの工場がある。企業側は人手が足りず、日系のブラジル人たちは「出稼ぎ」を目的に来日した。

蓄えもでき、家族を呼び寄せ、生活が根付くとそのまま日本で暮らすパターンが多かった。1990年の入国管理法改正で、日系2、3世とその家族には就労制限のない「定住者」の在留資格が認められたことが大きい。

市によると、90年3月末に1457人だったブラジル人は、5年後には6527人、10年後には1万789人、15年後には1万4377人と急増した。

しかし、リーマン・ショック以降、企業は東日本大震災や円高などを背景に、人員を削減したり工場を海外移転したりしてきた。雇用形態が不安定なブラジル人らは解雇されたり、雇い止めになったりして失業するケースが増えた。

働く場が見つからないため、家族とともに帰国する例が増えているという。

「友だち、いっぱいできたのに……」。浜松市立芳川(ほう・がわ)小2年で、日系ブラジル人4世のイトウユミちゃん(8)は、学校の友だちと鬼ごっこやドッジボールで遊んだことを言いながら目を伏せた。

母のマユミさん(29)はユミちゃんと次女(5)と長男(1)を育て、両親も加えた6人で同市南区のアパートで暮らす。両親がアルバイトして生活を支えてきたが、マユミさんは子供たちを連れて11月に帰国することを決めた。

ブラジル育ちのマユミさんは2001年、親を頼って来日。ところが、東日本大震災の影響で、父は勤め先の自動車部品工場をリストラされた。食品加工所で働く母の給料では、ユミちゃんが通うブラジル人学校の毎月の授業料3万円を捻出するのが難しくなった。

こうした事情を知り、ユミちゃんが日本の学校に通えるよう支えたのが、浜松多文化共生事業実行委員会だった。浜松市の「外国人の子どもの不就学ゼロ作戦」事業を受託している同実行委は、ベトナムで日本語を教えた経験のある女性と、日系ブラジル人女性の就学支援員2人を派遣した。

「子どもは学校に行きたがっている」「日本の学校について何も分からない」とポルトガル語で訴えるマユミさんに、2人は、公立の学校は授業料が無料であることなどを説明。「日本の子どもとなじめるのか」と不安だったマユミさんを励まし、ユミちゃんは昨年6月に入学した。

いま、32人の学級で、もう1人の日系ブラジル人の男児とともに学んでいる。日本語や補充学習があるほか、週4日は通訳が来校して支えている。

マユミさんの父は今年7月、やっと運転手のアルバイトが見つかった。だが将来の不安は消えなかった。

ユミちゃんは「学校は楽しかった。校長先生も担任の先生もみんな泣いてくれた」。マユミさんは「日本に残りたかったので残念。親切にしてもらって感謝しています」と言った。

同実行委の小木野東事務長は「日本の学校で過ごした思い出を忘れず、大人になったら両国の交流のために尽くしてくれるとうれしい」と話していた。

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【業務週報】3年で9万人も減った在日日系ブラジル人

ブラジル人登録者が多い浜松~豊橋でもブラジルショップの倒産、閉店が相次いでいます

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2010年末の在日外国人登録者数が発表になりました。驚くことに2010年も在日外国人の数は減少していたのですね。去年はエコカー減税などの影響で在日外国人の数は増加していたものと思っていましたが。想定外とまでは言いませんが読みが甘かったです。

在日外国人数が減少した主な原因は定住者ビザ保持者の減少のようです。留学生や不況の影響を受けにくい技能実習ビザ保持者が多く地理的に近い中国人は実際増加してますから。また定住者の割合が多いブラジル国籍者は23万人まで減少してしまいましたから、今年あたりこれまた技能実習生や配偶者ビザの割合の多いフィリピン国籍者に抜かれるかも知れませんね。

今年も東日本大震災があり、復活してきたとは言え自動車など製造業の雇用は先が読めませんし、円高や原発、放射能の問題で企業の海外への生産拠点の移転は進むでしょうから、残念ながら今後も日系ブラジル人の雇用が復活することはないでしょう。実務でも定住者のビザの審査は厳しくなる一方ですし。

しかし、リーマンショック以前の2008年の最盛期32万人いた日系ブラジル人が9万人も減少してしまった、彼らの雇用が守れなかったというのは、日本の国力や日本の製造業の体力減少の証しですし、多文化共生と言いつつ、雇用企業、ひいては日本社会が外国人労働者を使い捨てにしていることの証しなんでしょうね。なんだか複雑な思いです。

2010年末の外国人登録者、2年連続減少 日系人ら就職難
2011/6/3 19:09 日本経済新聞

法務省入国管理局は3日、2010年末時点で日本に滞在する外国人登録者数が、前年より5万1970人少ない213万4151人 (2.4%減)だったと発表した。外国人登録者数の減少は2年連続。景気低迷の影響でブラジルからの日系人労働者らが職探しに困り、多数帰国したことが背景にあるとみられる。
国籍別に登録者数をみると、中国(台湾、香港を含む)が前年比1%増の68万7156人と、4年連続で最多。同2.2%減の韓国・朝鮮が56万5989人で続き、3位のブラジルは前年より13.8%の大幅減となった。

在留資格別では、出稼ぎ労働で来日する日系人らに多い「定住者」や「日本人の配偶者等」などの減少が目立つ。都道府県別でも、南米からの日系人労働者が多く働く愛知、静岡などで減少した。

祖国の味で懸け橋に 派遣切り後、料理店開き1年

派遣切りで溶接工の職を失ったブラジル人の男性が、小松市内にブラジル料理の店を開いて1年余り。市の基幹産業である製造業が回復を続けてきたのとは対照的に、店の経営は厳しく、来客がゼロの日もある。それでも男性は「故郷のスタミナ料理でお客さんと店を元気にしたい」と話し、アルバイトなどで資金を補いながら、店の灯をともし続けている。

「ボワ タージ トゥード ベン?」(こんばんは、元気?)。小松市本折町にあるブラジル料理店「HOT ICE BRASIL」。日暮れ時になると、ポツリポツリと客がやってきて、軽やかなポルトガル語のリズムが飛び交う。製造業の町とあって、客の大半は、近くの工場で日勤を終えたばかりのブラジル人だ。

分厚いチキンステーキをほお張る2組の常連客。そのそばで経営者のラウリ・ポンシアノさん(44)は寂しげな表情をのぞかせた。「1年前は、お客さんが多かったんだけど……」

サンパウロ州郊外の出身で日系2世の妻マルシアさん(41)と結婚し、商店を経営していた。2人の子どもに日本で教育を受けさせたいと、デカセギに来たのは2004年。安定雇用を目指し、溶接の技術を身に着けたが、08年秋にリーマンショックの嵐が吹くと、真っ先に派遣切りに遭った。

弁当屋のアルバイトで食いつないでいた10年春、景気が上向き始めた。静岡や埼玉に出て行った仲間たちが次々と戻り、ポンシアノさんにも元の職場から声がかかった。だが、「工場に戻っても、いつまた首を切られるか分からない。それなら自分の店を持って勝負したい」と決意、5月にブラジル風ハンバーガーと定食の店を開いた。

市内在住のブラジル人は約1000人。当初は、夜勤明けや日勤明けの客がひっきりなしに訪れ、1日平均約40人に達したが、客足は徐々に鈍り、冬になると、ゼロの日が何日も続いた。寒さが苦手なブラジル人は、雪が降ると、会社と自宅を往復するだけで外食をしなくなるのだ。

今年に入り、経営は逼迫(ひっぱく)、ポンシアノさんは毎晩4時間、厨房(ちゅうぼう)を妻に任せ、溶接のアルバイトに出かけるようになった。そのアルバイトも東日本大震災のあおりを受けて4月末で打ち切られ、店は正念場を迎えている。

ポンシアノさんは5月から土日のバイキングを始めた。ブラジル名物のパルミット(ヤシの芽)など6種のサラダに焼き物8種を加え、種類の豊富さと量でアピールする作戦だ。全体の1割に満たない日本人客を増やすため、日本語のビラを配布し、アマゾンフルーツのジュースをPRすることや、客足の落ちる冬場に宅配サービスを行うことも考えている。

「将来は、日本人にも人気のシュラスコ(焼き肉)を出し、料理を食べに来た日本人とブラジル人が仲良くなれるような店にしたい」。逆境にめげず、夢を抱きながら、厨房(ちゅうぼう)に立ち続けている。

(2011年6月2日 読売新聞)

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【業務週報】ブラジル人ビジネスも変わらなきゃ


ブラジル料理もうまいんですが、高カロリーで味付けが濃いのがネック。日本人好みに「シュハスコ丼」とか「フェイジョアーダ饅頭」を開発したら受けるかも(爆)
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前回在日ブラジル人向けビジネスの危機的状況について書きました。

在日ブラジル人の場合、日本全国で30数万人の居住者のうち10万人超が愛知静岡に集中していたため、従来から浜松や豊橋ではブラジル人の経営者が同胞向けに商売を行うスモールビジネスが林立していたんですが、さらにここ数年在日ブラジル人の所得消費購買能力の高さに目をつけた日本の資本、企業の参入が相次いだため、過当競争となっていたところを今回の経済危機ですからね。

で私もいつも不思議に思ってたんですが、私のクライアントや身近なブラジル人経営者、起業家を見てると何故か彼らは同胞のブラジル人に売ることしか考えてなかったんです、今まで。それでもブラジル人の人口が多かったので同胞だけに売るビジネスモデルでもなんとなく成り立ってたんからでしょうけど。

でもこれだけブラジル人の帰国者が多くなりお客さんが減り、失業者が増え購買力が低下するとブラジル人にだけ売ってたのではもう成り立ちませんよね。日本人に売ることを考えなければ。

書籍などを読むと在日朝鮮韓国人の人たちも太平洋戦争後の困窮時、帰還事業で母国に帰るか、日本に踏みとどまるかの二者択一を迫られ、日本に残った人たちは就職差別で仕事に就くことも出来ず、生きるために仕方なく道でキムチで売ったり、ホルモン屋を始めたのが今では日本人の食卓にもすっかり定着したという歴史的な経緯もありますから、歴史は繰り返すんでしょう、平成になっても21世紀になっても。

在日ブラジル人向けビジネスも変わらなきゃというか、変わらないと生き残れない、、、

フルーツフォンデュ:ブラジル人の北畠さん、店を開店--大垣 /岐阜

大垣市内の会社で派遣社員として働いていたブラジル人の北畠ダニエルさん(30)が15日、仲間たちと同市外野のイオン大垣店2階で、果物にチョコレートをかけたデザート「フルーツフォンデュ」の店を開店する。

北畠さんはブラジルで携帯電話の販売の仕事をしていたが、妻が日系人だったこともあり、3年前に来日。派遣社員として1年間働いた後、会社設立の準備を進めてきた。07年11月には、同じ会社で働いていた日系2世の派遣社員の男性(50)と食品輸入・販売会社を設立。今回、やっと開店にこぎつけた。男性は昨年12月に派遣先の職を失ったという。

店は、ブラジルに本社を置く会社のフランチャイズ店。スペインやイギリスなどにも店を持つが、日本では第1号店。店のスタッフは日本語もブラジル語も話せる人ら8人。チーズパンとブラジル産コーヒーも販売する。北畠さんたちは「年内に3店、来年は5店を開店させたい」と張り切っている。【子林光和】

毎日新聞 2009年4月15日 地方版

手に職生かし不況乗り切る ブラジル人グループが手作り装飾品販売

2009年4月2日 中日新聞
4日、浜松駅南商店街の朝市に出店

4日の朝市で売り出す品々を持ち寄った「フシコブラジル」のメンバー=1日午後、浜松市中区で

非正規雇用の外国人が派遣切りに遭うなど苦境に立たされるなか、日系ブラジル人のグループが、自らの技術を生かした自立を目指している。手芸など手仕事の得意な男女10人が、4日から浜松市中区の砂山銀座サザンクロス商店街の朝市で、手作りの装飾品などを売るという新たな挑戦を始めることになった。「自分たちの力を引き出して、不況に立ち向かいたい」と、代表の阿波根アデライドさん(48)=中区=は話している。 (報道部・梅田歳晴)

このグループは、2カ月前に立ち上げた「フシコ ブラジル」。「フシコ」はポルトガル語で「つながる・ひろがる・心をこめる」の意味がある。

「不況で苦しい今こそ、ブラジル人同士の結束が大切」という阿波根さんの呼びかけに集まったのが、ブラジルで家具職人や刺しゅう細工などの経験があり、技術に自信のある計10人。4カ月前に派遣切りに遭った人もいるという。
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朝市の露店にはピアスや指輪やストールといった手芸、衣料品など手作りの約100点が並ぶ予定。阿波根さんは「私たちの技術を見てほしい」と自信をのぞかせる。

「フシコ」が目指すのは、ブラジル・サンパウロにある日系人が創設した観光名所の市場「プリサダ リベルダーディ」。日本をはじめ各国の工芸、衣類、装飾品が集まり、ダンスや楽器演奏もあって多くの人種が行き交う。阿波根さんは「小さな一歩だけど、いつかはそんな場所に」と思いをはせていた。

商店会の代表鈴木実さん(73)も「話題性があるし、珍しいものを売ってもらいたい」と期待を込める。もともと、8年前に始めた朝市は商店街の活性化が目的。現在も毎月第1、第3土曜日の午前10時から、県西部地域の生産者らが約30店舗を並べ、野菜やハチミツ、菓子など食品を中心に販売している。鈴木さんは「できるだけ長く続けて」とエールを送った。

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